■ [大事なこと]一人も見捨てたくない
本日のゼミ生との会話。
『学び合い』での学校観を説明した際、ゼミ生から最後まで話し合わない関係はありえるか、と聞かれました。私の返答は、もちろん、です。『学び合い』の集団においても一人も見捨てないということは集団として見捨てないと言うことです。個人のレベルでは関係を断つことは十分にありえます。見捨てないとして、その程度は1か10か100かはケースバイケースです。ようは0にすると自分に不利だと分かればいいのです。『学び合い』では無理なことは言いません。
さらに言えば、『学び合い』の集団として成り立つための集団としての合意、その基礎となる管理職や法がなりたった場合に「一人も見捨てたく無くない」です。『学び合い』は博愛主義や人道主義から出発しましたが、『学び合い』は博愛主義や人道主義ではありません。それは利己主義であり功利主義です。ただ、世にある道徳的な徳目は、その利己主義や功利主義と一致しています。ただ、表現の違いなのです。そのあたりを冷静に『学び合い』は見極めています。だから、管理職や法が無い場合、『学び合い』は成り立ちません。そこには非生産的な利己主義と功利主義があります。しかし、仕方がありません。博愛主義や人道主義では無く、利己主義や功利主義で乗り越えます。その利己主義や功利主義を成り立たせるための装いが、博愛主義や人道主義なのです。
私にはウエットな願いがあります。しかし、その願いを実現するためにはドライにならねばなりません。