■ [大事なこと]評価
よく、評価が難しい・出来ない、という人がいます。でも、「ではそれを授業で教えないのですか?」と聞くと授業しているようです。このことの矛盾に気づきません。『学び合い』では有り得ない話です。
あたりまえのことです。授業には目標があり、その目標を達成するために評価があります。つまり、「目標=授業=評価」なのです。従って、評価が難しい・出来ないということは、目標が曖昧であるか、目標がないということです。ということは授業ではないと言うことなのです。ま、教師の独り言です。
では『学び合い』では何故有り得ないかといえば、授業の最初に子どもたちに目標を言葉で言わなければならないからです。それも子どもたちが何をすべきかハッキリ分かるようにです。今までの授業ではそれをしなくても、何となく授業が出来たので、目標をハッキリとさせず何となく授業をしていたからです。
でも、確かに評価が難しい・出来ないものもあります。では、どうするか、そんなことを授業で扱うべきではないのです。その代わりに評価できる内容にすべきなのです。教科の本質を大事にされる方には抵抗感があるかもしれませんが、教師の独り言よりは遙かに意味があります。そのような授業は、酔っ払った先輩教師の思い出話を延々と聞かされているようなものですから。
■ [大事なこと]本の書き方
論文を書きまくった私ですが、教育書を最初書いたときは戸惑いました。学術論文を書くのは難しいようで、実はもの凄く簡単です。目的、方法、結果、結論、議論の大きな構造があり、言い回しやデータ整理の方法は学会によって決まっています。昔の候文は時候挨拶のような定型的な文章が決まっているので、全く内容がなくても、かなりの分量の文章が書けるように、学術論文も先行研究の文章を利用すれば書けます。というか、極論すれば先行研究の文章を7割ぐらいはコピペでもいいぐらいです。
ところが今は6日ぐらいで本が書けます。何故かといえば、書き方が分かったからです。皆さんに伝授します。
第一に、書きたいことを項目だてて、まず書きます。そしてそれぞれに、何を書きたいかを単語でも単文でも書いておくのです。そうしないと忘れてしまいます。例えば田中君という子どもとの会話を書きたかったら、「田中君、夏休みでの会話」のように書いておくのです。
第二に、書けるところから書くことです。長い文章の場合、最初から書く必要はありません。書けるところかけばいいのです。
第三に、人に話していることを書けばいいのです。学生さんのレポートはとてつもなくつまらない者を最初書きます。彼らは学術論文の書式にあわせようあわせようとしているからです。その場合は、「このことを友達に話すとしたら何話す?」と聞きます。そうするととても本質的で分かりやすいことをしゃべります。というのは、我々は人に話すとき、分かりやすい、人の興味を引くようなエピソードを無意識に選択し、しゃべっているからです。このことが分かったから教育書を書けるようになりました。そして、私は膨大に人と話しているので、本を書くのが速いのです。
以上、奥義です。