■ [大事なこと]離

私が本に書いていること、それは『学び合い』を初めて1年ぐらいの人が、安全に確実に成功するためのことを書きました。『学び合い』を実践し、身体化された方の場合は、その人なりの変化をします。守破離の破離です。
ところが、私が書いたことと違うことをやっていると「西川先生はダメというかもしれないけど」と言ったり、書いたりするかたもいます。心が傷つきます。私は気にしていないのに。
私の本に書いた基本からの逸脱には2種類あります。それは、その逸脱が何のためだかです。1つは、その日の授業、その1年の授業のレベルのことを想定する方もいます。でも、その方は学校観の意味が分かっていない。
私が気にしているのは、その子がその学校を卒業した後、その子が50歳、60歳、70歳の時は、その日の授業はどう繋がっているかです。
私は、そのことを個別に言いません。言い始めたら「西川先生は自分の思う実践しか認めないんだ」と思われるからです。私が拘っているのは、授業方法ではないのです。その人が、どれだけ長期スパンで自分の実践を考えられるか、なのです。ま、そのうちに気づきます。
■ [大事なこと]予兆

ある同志からのメールです。
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西川先生
こんばんは。
ブログにアップできないけれど、とても面白いことがありました。
私のクラスは、社会科を若いW先生が教えています。
典型的な一斉指導です。
その先生はとても熱心に教えています。
その授業について、クラスのA君が
「授業がつまらない」
と本人に言ったそうです。
私は何も知らないし、何も指示していません。
すると、そのW先生と話し合いになり、どういう展開か
今日はそのA君が授業をしたというのです。
A君は、クラスの中心的な子供です。
先生の言うとおり、クラスの中心的な子供が、本気で反乱を起こしたら、教師は何もできないのだと改めて感じました。
「別に楽しい授業をした訳ではなくて、普通に授業した」
ともA君は言っていました。
授業の後、W先生は私に
「すごく面白かったです」
と報告してくれました。
子供たちは、『学び合い』でとんでもない課題を与えられて、学習する毎日です。
私は、結果を求めます。楽な授業をしているわけではありません。
ただ、話を聞いているだけの授業ではつまらないです。
自分たちで、もっとやってみたいのです。
当たり前のこのことを、痛感しました。
■ [大事なこと]出来ること

大学教師を30年以上やって思うこと。
教師が出来るのは、「その人の中にあるものを出してあげること」、「既にあるものを邪魔しないこと」、「既にあるもの、その人の中から出ようとするものを邪魔すること」の3つだけのように思います。その人の中にないものを与えることは出来ないと思います。
その人の中にあるものの中で一番大事なものは才能ではありません。あればいいけど、なくてもよい。一番大事なのは「欲」。それさえあれば、かなりのレベルに導ける。しかし、他の欲を諦められるほどの「欲」を持った人は少ないな~。
■ [大事なこと]紡ぐ

最近は少なくなりましたが、二重括弧と学びの共同体を混同する方がおられます。でも、一度でも生の授業を見た人ならば、混同するわけありません。学びの共同体で「紡ぐ」という言葉を使う場合、その主語は教師です。しかし、二重括弧では主語は子どもです。教師は紡ぐのではなく、紡ぐ意味を語ります。
アクティブ・ラーニング協会の動画サイト(https://find-activelearning.com/)を観ながら、そう思いました。