■ [大事なこと]呪縛
今の教育で最も根深い呪縛は「国民全員に基礎的・基本的学力を保証する」という呪縛。国民全員にとっての基礎的・基本的学力なんて、存在しないのに。もちろん、多くの国民にとっての基礎的・基本的学力はあることは認めます。しかし、全員ではない。この呪縛から逃れられない限り、ちょっとでも隙間時間があれば、基礎的・基本的学力を保証する時間にしてしまいます。
私はこの呪縛から逃れられた人を殆ど知りません。どんな先進的な人でも「でも、日本人だったら、これは知らなくては」というものを持っています。そして、それに対して何らの実証的なデータを持ち合わせていないことを自覚していません。
フィールズ賞を狙える才能ある子が、古典文法を学ぶ必須ですか?「いや、日本人だったら・・・」という論だったら、他の人は「日本人だったら・・・」という論を出します。みんな、その論にはそれなりの蓋然性があります。なんとなれば、学んで無駄であるものはないのですから。だからみんな学んだ方がいいものばかりですから。結果としてフィールズ賞を狙える才能のある子どもも、その才能を生かせる勉強は出来なくなるのです。これはギフテッドの子どもばかりではありません。思い起こしてください。我々だって「こんなの無駄じゃん」と思った勉強はあったでしょ?
といっても、「日本人だったら最低限学ばなければならないものがある」と思うのは人情です。私だってある。だから最も根深い呪縛なのです。しかし、これを乗り越えなければ個別最適化した教育は実現せず、脱工業化社会で正規雇用される人材を育成できないのです。つまり、「日本人だったら最低限学ばなければならないものがある」という思いが、子どもたちを非正規雇用にたたき込むのです。それ故に罪深い呪縛です。