今回の入試改革のゴタゴタを私の視点で解説します。
測定において、精密と正確という二つの側面があります。精密とは誰が何度計っても同じ値であることです。測定値の分散の小ささによって評価されます。正確とは、測定値の平均値が「真値」と一致しているか否かによって評価されます。
教育において例示しましょう。
授業に対する興味関心を測定しましょう。これは物理の基本量と違って測定方法は定まっていません。だから、様々な測定方法がありえます。我々は授業を受けている子どもを観察すると興味・関心は分かります。ホモサピエンスは群れる生物です。他の個体を分析できなければ生きていけません。いや、結婚している人ならば、伴侶に対してそれにエネルギーを費やしていると思います。かなり正しい。でも、大外れして地雷を踏むことがあります。つまり、正確ではありますが精密ではないのです。
一方、授業中に頭を何回かくかという測定方法を採用しましょう。これは誰が、何回やっても同じ値が得られます。でも、頭をかくという行動と興味関心との相関はあるでしょうか?つまり、精密だけど正確ではないのです。
公平とは精密のことです。公正とは正確のことです。
今回の大学入試の改革に対するクレームは全て公平であることを求めています。その学部に進学すべき学生の資質はどうあるべきかを語っている人は皆無です。
つまり今回の文部科学省のクレームは「子どもが真面目にやっているかどうかは人によって違う。頭の掻き方で決めた方が公平だ」という論なのです。
本当は文部科学省はそれを言うべきなのです。
が、それが出来ない。何故かと言えば、学生の資質は各大学ごとのアドミッションポリシーによって違うのです。ところが、それを関係なく「正しい大学生」という工業化社会の規格化から逃れられないから。