お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

工業化社会のコード

 池江璃花子さんが白血病から復帰し、オリンピックの代表になりました。このニュースを聞いて単純に嬉しくなりました。彼女が涙ながらに語る姿にもらい泣きしました。しかし、一日たつと、「嫌な」気持ちでニュースを見ています。もちろん、彼女に責任ではありません。オリンピックという工業化社会のコードが嫌なのです。

 メジャーなスポーツには全国大会、世界大会があり、それによって多くのお金と利権が生まれます。そのような大会があれば、勝つ人もいますが、圧倒的大多数は負けてしまいます。それでもスポーツする意義があるのでしょうか?

 全面的に否定するつもりはないですが、県大会、全国大会、世界大会をなくし、地域コミュニティー内部での趣味としてのスポーツになったらいいなと思います。

 去年の甲子園ではトーナメント形式ではなく、1試合だけとしました。その結果として、勝ち負けではなく、競技すること自体に意味が生じました。それをもっと拡大したものです。

追伸 私は体育が嫌いでした。ところが大学の体育授業は好きでした。理由は勝ちに拘らなかったからです。小中高の体育では同級生をリードする人達は勝ちに拘り、スポーツが不得意な私は居場所がありませんでした。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

補足

 私は「県大会、全国大会、世界大会をなくし、地域コミュニティー内部での趣味としてのスポーツになったらいいなと思います。」と書きました。その真意をご理解いただくために、補足します。

 工業化社会においては県大会、全国大会、世界大会もそれなりの意味を持ちます。しかし、脱工業化社会において意味を失うと思っています。

 理由は色々です。一つ一つ説明します。

 工業化社会は規格化の社会です。もし、多くの人が一つのものに価値を見いだせば希少性が生まれます。結果として、大多数の羨望が少数の人の満足を与えます。県大会、全国大会、世界大会となれば利権が生まれ、搾取が行われます。私にはオリンピックの観戦のための入場券が数万円単位になることをクレージーだと思います。

 次に、未来社会で一番価値があるのは、地域コミュニティーにおいける多様で多数の人的ネットワークです。それの育成の集中・効率化するためには、県大会、全国大会、世界大会は非効率です。

 少子高齢化する日本においては工業化社会の価値観では大多数の人が貧しさを感じながら生きることになります。少子高齢化する日本において幸せになるには、「個別最適化した価値を一人一人が生み出せること」、「地域コミュニティーが老後までの生活を保障する」の二つが必須事項だと考えています。

 それ故、県大会、全国大会、世界大会のいずれにおいても興味を持たず、むしろ嫌悪感を持つのです。一人一人が個性的な価値観を持つならば、県大会、全国大会、世界大会なんて成り立つわけありません。

 私の描く未来像は、トフラー、ドラッカー、コリンズ等に影響を受けていますが、具体的なイメージはホーガンの「断絶への航海」が最も影響を与えてくれました。あれを読めば、県大会、全国大会、世界大会なんて未来社会に入り込む余地はありません。そもそも中央集権的な政府すらもないのですから。金銭もなく、搾取もありません。未来社会での富は、尊敬と感謝なのです。