西川研究室はゼミ生が運営しています。私は英連邦のエリザベス女王のように君臨すれども統治せずです。私が大学に出す書類の殆どはゼミ生が作成しています。ゼミ生主催のSNSも多いです。それらは私はあずかりしらないです。ちなみに越後『学び合い』の会の運営に私は関わっていません。
私とゼミ生との間合いも多くの研究室と異なります。まあ、面白い親戚のおっちゃんという間合いでしょう。緩い中で私とゼミ生がからかい合って、笑い中が進んでいます(ご覧になりたい方は以下を参照下さい。https://www.youtube.com/user/TheNishikawalab)。画面では私しか写っていませんが、向こう側には、ラーメンを食っている子、寝っ転がっている子(実際本当に寝る場合もあります)、スマホでゲームしている子もいます。
そんな不思議なゼミです。
昨日、今、西川ゼミに関わる本の企画をしているゼミ生達に「君らが採用された後、今と同じような学級経営が出来るか?」と問いました。一人以外は、出来ないと応えました。以下のように話しました。
教師が書くような書類を学生が書くことに驚いているけど、よく考えて、それで間違ったら何が起こる?何も起こらないでしょ。最悪でも、頭を下げて修正すればいい。もちろん、大きな問題が起こるような書類もあるし、部外秘の書類もある、それは君らに任せていない。ようはリスク管理をしているんだよ。そして、君らに任せられない書類は私が作成する書類の極々一部に過ぎない。そもそも、君らに任せている書類の多くは、君らの方が多くの情報を持っている。だから、君らに任せられると同時に、任せるべきものだ。
他の研究室だったら必ず指導教員に報告・連絡するけど、西川ゼミの場合はそれをしないものを思い出して。それで失敗したら何が起こる。書類と同じだよ。それらも君らに任せられると同時に、任せるべきものだ。
ゼミ中に寝てたり、ラーメン食ったりしているからと言って、俺はなめられているか?いないよな。ひとたび真顔で話せば、君たちのモードも変わるだろう。教師という管理職の権力は堅苦しい型によって維持されなくても、抑えるべきところを抑えれば民主的な集団においても成立する。
ふりかえって、君たちが働く小中高の学校現場において、教師「が」しなければならないと思われている仕事の中で子どもに任せられないものがある?その多くは任せるべきだと思わない?
教師がステップステップで判断しなければならないと思われることの中で、報告・連絡を受けず子どもに任せられないものある?
私と君たちとの間合いのようになったら、子ども達は君たちをなめてしまう?
さあ、もう一度聞くよ、君らが採用された後、今と同じような学級経営が出来ない?
(ゼミ生は有機的な集団がいかに強力であることを知っているので、今度は全員出来ると認めました)
もちろん、これを表立ててやれば、波風は立つよ。だから、わざわざ表沙汰にしなければいい。おそらく同じコースの先生方も「西川先生のところは違った運営をしている」ことは気づいているよ。でも、詳細は知らない。そもそも、自分のゼミに影響が無ければ、他ゼミのことは「お任せ」だから。それと同じだよ。学校ではわざわざ表沙汰にしなければいい。
さて、ここまで言えば、最初に「出来ない」と言った君たちの愚かさを恥じなさい。西川ゼミは私が考える、今最高の『学び合い』の運営をしている。それを自らの実践に活かさないとしたら、なんと愚かで勿体ない。君らはそれを実体験できる特権を持っているのだから。