日々のゼミの会話はユーチューブで公開しています。が、本日のゼミの半数は、ビデオを止めました。ということはYouTubeで公開しません。でも、そういうときに『学び合い』の奥義を語っているように思います。
非常に不遜ですが、思い出すことがあります。
最澄は空海に書簡を送り、『釈理趣経』(『理趣経』の注釈書)の借用を願い出ます。しかし、空海は断りました。理由は、中途半端な理解で読めば誤解するためです。しかし、一つのことで頂点に至った最澄にとっては侮辱ですよね。
しかし、違います。例えば、スイーツとからすみとの関係と同じです。違うのです。それはどちらが偉い、どちらが駄目だとは違うのです。どちらを優先するかです。からすみで酒を飲んでいる人にスイーツを語っても無駄です。そして、おそらく絶対に分かりません。
それを理解しています。
だから、ゼミ生(オフライン、オンライン)しか語らないことは少なくありません。
ゼミ生ならば、私との会話、ゼミ生同士との会話で誤解しませんから。
このレベルのことを本に書けば、私は攻撃の格好の対象でしょう。でも、方法のレベルの『学び合い』の上のレベルにすんなり移行するにはそれが必要です。