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権限

 文部科学省、都道府県教育委員会、校長の権限について知りたかったので、関係法規を集中的に読みました。その結果、分かったことがあります。

 それは、一般の教諭の授業等を命令する権限は3者にはないのです。

 文部科学省の権限は煎じ詰めると、予算と免許法と学習指導要領の3つです(大学に関しては設置認可があり、これは強力です。でも、小中高の公立学校の先生方には無関係ですよね)。一般の教諭には予算と免許法は関係ありません。学習指導要領ですが、その圧倒的大部分が未定義で、どうとでも解釈できる内容です。例外は社会科で扱うべき人物などがありますが、例外的です。ですので、通達などで細かいところを指示する場合がありますが、通達には法的根拠はありません。つまり局長あたりの独り言なのです。あれは都道府県教育委員会・校長がそれを元に判断したときに効力が生じます。残念ながら、自己判断・自己責任のリスクを負いたくない都道府県教育委員会・校長がそれを採択しているのです。しかし、問題が起こったときの責任を文部科学省は負いません。それを採択した都道府県教育委員会・校長が負います。

 都道府県教育委員会に一般の教諭の授業に対して指導・助言は出来ますが、命令は出来ません。教育の内容・方法に命令が出来るのは校長です。ただし、学習指導要領に明確に違反していない限り命令は出来ません。出来るのは指導・助言のみです。その指導・助言を受けるか否かは各教諭が判断できます。

 『学び合い』に関して強力に支持する校長がいる一方、蛇蝎のように嫌う校長もいます。そのため全校体制で『学び合い』に取り組んでいる学校で校長が替わると、『学び合い』を禁止することをします。でも、そんなの簡単に拒否できます。

 禁止を言い出したら、それに対して合理的なエビデンスを示すのです。だから、成績の分布、QUテスト、保護者アンケート、子どもアンケートの結果を収集し続けなければならないのです。戦うには、ちゃんとした武器が必要ですから。それを示した後でも禁止を命じたら、「それは職務命令ですか?それならば文書で出して下さい。その場合は学習指導要領、関係法規に基づいて、その理由を示して下さい。ご存じの通り、校長は職務命令を出せますが、関係法規に基づくものでなければなりません。そして、その合理性を説明する義務があります」と言えばいいのです。職員集団の意思として出したならば、校長はお手上げになるでしょう。

 しかし、世の中には校長には絶大な権力があると思い込んでいる人が少なくないです。何故でしょうか?教頭試験の中心は法規です。そのため、教頭試験用の参考書、問題集があります。それを読むと、「あ~誤解しちゃうよな~」と思います。実際は指導・助言(つまり拒否していいレベル)を、教諭が職務命令だと勘違いすることによって成り立っています。参考書・問題集では「命令できる」のオンパレードです。しかし、前提として法に反すること、公序良俗に反すると裁判所が判断するレベルなのです。

 かつて授業内容に対して裁判所が違法と認めた例は、特定政党に偏った授業の場合程度です。それに、皆さんのかつての同僚にいたであろう問題教師の授業が、そのままになっているのは何故だと思いますか?つまり、その程度の権限なのです。

 私の初任校は暴走族だらけの学力的に最底辺の夜間定時制です。その子ども達に物理を教えたのです。当然聞いてくれません。私は「物理は必修科目だよ。落とせば卒業できないよ」と私にとっては最終兵器を出しました。ところが、子ども達は最初はぽかーんとしていたのですが、しばらくするとみんながにまーっと笑顔になったのです。そして、全員で「落とせ、落とせ」の手拍子で連呼したのです。私はあっけにとられましたが、やがて分かりました。どんなエビデンスを積み上げても、全員を落とすことは出来ません。だから、クラス全員にそっぽを向かれたら、私には打つ手はないのです。私が思い込んでいた教師の権力は虚像であることを知りました。今では、それを教師初年に知り得たことを感謝します。もし、10年ぐらい気づかず、いつの間にかそれに頼る教師になった時に、子ども達に牙を剥かれたら目も当てられません。愚か者は咬まれて、初めて、相手にも牙があることに気づきます。

 私はゼミ生に対して、私には権力がないことを説明します。年間150時間の実習に参加し、規定回数のゼミに参加すれば、私は単位を出す以外の選択肢はありません。もし、上記を満たしているのに単位を出さなかったら、大学に訴えればいいのです。100%私の負けです。毎年、ゼミ生に言うことによって、それでも私を管理職として認めてくれる教師でありたいと再確認するのです。

 それを知らずに高圧的に指示を出す愚かな校長がいますよね。笑ってしまう例に、教諭に毎日、授業細案を提出することを求めている校長がいます。でもね、授業細案には法的根拠は無いのです。だって定期試験・通信簿ですら法的根拠が無く、それ故に廃止できるのですから。

 一方、お仕えした校長の中には、一人一人の教諭のやり方を認めて、対外的な盾となってくれた校長がいたと思います。全体的に笑顔が多く、面白かったり、穏やかだったりしたと思います。その校長は、何故、そのような行動をし続けるのでしょうか?それは自分の権限の限界を知っているのです。その中で、最も効率よく学校を管理するにはどうしたらいいかを知っているのです。ちなみにこのあたりは、経営学のリッカートのシステム4に詳しいですし、『学び合い』と一致しています。(ちなみに、このあたりを詳しく知りたい方は、https://amzn.to/3OS8dG3 をどうぞ)

追伸 久しぶりの長文です。こういうときって、私が戦闘モードになっているときです。アドレナリンが高まると、言葉が次々に生まれます。