■ [大事なこと]一次産業

世界には資源の恵まれた国はあります。では、その国の人は豊かでしょうか?そうは思えません。一部の人は非常に豊かですが、それ以外は貧しいように思います。資源があってもそれを国民が活用できるシステムがなければ、他国に利用されます。
知識も同じように思います。
ノーベル賞を生み出す基礎科学は1次産業のように思います。それを活用する2次産業、それを普及する3次産業がなければ国は豊かになりません。だから、ノーベル賞受賞者が基礎科学に資金を与えよという主張は、それを活用するシステムが伴ったときに血税をついやす意味があると思います。
ノーベル賞を取ることはそれ自体は国民を豊かにはしません。(ま、数日ぐらいは浮かれますが)
■ [大事なこと]本業

ネット上をサーフィンしていると、志の高い若手・中堅が少なくないと思います。でも、それを見るたびに「本業は何か?」と思います。その人の本業外の活躍に比べて、本業の活躍が分からないのです。
本業外で活躍するには、それに倍する本業の活躍が必要です。それも、あなたに批判的な人も納得する業績が必要です。大人の世界に「頑張っています」は意味を持ちません。100km,200km,300kmはなれた私が本業外の活躍が分かるならば、その私が本業での活躍が分からないとしたら批判的な人は納得しないと思います。
県や国の指定研究で何をしていますか?学校で応募する「賞」で入賞の経験がありますか?無いならば、あなたは我が儘なのです。若いうちは許されても、中堅にシフトするとき、それは許されなくなります。
本業は何ですか?
もし、本業での活躍を発信できないならば、本業外の発信は控えた方がいいですよ。老婆心です。
追伸 教員養成系大学の教員である私が教師向けの本を多数出しているのは、教員養成系大学の教員として不利であっても有利ではありません。私が出し続けられるのは、人の十倍程度の業績があり、多数の学会の賞を受賞し、数多くの学会の役員を務め、学会長であり、大学のコース長であり、その業務をこなしているからです。そうじゃなければ、「あ、研究も出来ないから実践書を書いているんでしょ」と言われ軽蔑の対象になります。
■ [大事なこと]読者様から

本日、「学歴の経済学」を読まれた読者様よりメールが来ました。お褒めのおこばを賜りうれしかったです。特に、その方が小学校のお母様なのです。
その方から
『以前から「高専はどうだろう?」と考えておりました。主人曰く自分たちの時代は高専は就職率は抜群だが(今でもそれはあまり変わってないと思うのですが)いい企業に入れても結局大卒に給料面で差が付けられてしまい悔しい思いをする。だから高専から4大に編入するパターンが多いのではないか、と。』
私の返答は以下の通りです。
嬉しいメールありがとうございます。
弊社は読者様へのアフターサービスはバッチリです。
まず、「いい企業に入れても結局大卒に給料面で差が付けられてしまい悔しい思いをする。」ですが、その企業に就職出来るような4年制大学に入れるならば、その大学に入った方がいいかもしれません。しかし、高専と同等の4年制大学では、その企業には就職出来ないでしょう。だから、高専の方がいいと思います。それが無理なら、職業科高校です。
これで●●さんへのお応えになったでしょうか?
でも、もう一歩進めて欲しいのです。
給料の多寡で幸せははかれません。
大事なのは人とのつながりです。
お子さんの幸せを願うならば、人とのつながりこそが幸せに繋がることを伝えて下さい。
私は『学び合い』という実践を全国に広めています。
その教育の根幹は「一人も見捨てず」にこだわることです。
仲間が多様で多数であることが、今後の社会で幸せになるキーです。
あと、「学歴の経済学」を周りの人に勧めて下さい。
私の息子は高校1年です。
色々なことを教えます。しかし、納得しないのです。
息子が納得するには、息子の同級生の多くが変わらなければならないのです。それは●●さんも同じだと思います。
■ [大事なこと]騙す

少数の人をずっと欺き続けることはできる。
多数の人を少しの間欺くことはできる。
しかし、多数の人をずっと欺き続けることはできない。
という言葉があります。
これは政治家の場合だと思います。
教師は違います。
より長い時間、子どもと接します。
だから教師版は以下のようになると思います。
少数の子どもを卒業まで欺き続けることはできる。
多数の子どもを数週間欺くことはできる。
しかし、多数の子どもを1ヶ月以上欺き続けることはできない。
逆に言えば、
少数の子どもは卒業まであなたを分かってくれないかもしれない。
多数の子どもは数週間あなたを分かってくれないかもしれない。
しかし、多数の子どもは1ヶ月以上たてばあなたを分かってくれる。
『学び合い』の実践経験の長い方だったら、1週間以内に子どもを変えられるのは以上だからです。そして、その方でも心に隙が出来ると数週間で集団の質が下がるのは以上だからです。
ちなみに、以上の「子ども」を「教師」に変えれば校長版の格言になります。即ち、以下の通りになります。
少数の教師を異動まで欺き続けることはできる。
多数の教師を数週間欺くことはできる。
しかし、多数の教師を1ヶ月以上欺き続けることはできない。
逆に言えば、
少数の教師は異動まであなたを分かってくれないかもしれない。
多数の教師は数週間はなたを分かってくれないかもしれない。
しかし、多数の教師は1ヶ月以上たてばあなたを分かってくれる。
こう書けば多くの教師はしっくりくると思います。
■ [大事なこと]半世紀

『人がどのようなときに学ぶことができるかは明かである。それは自分のリズム、速さ、持続性に合ったときである。赤ん坊が立ち、歩き、遊び、一人で食べられるようになるのと同じように、自由はプログラムに従うときである。(中略)個差の問題を解決する方法はもう一つある。合唱効果である。集団のリズム、速さ、持続性が利用できる。(中略)子どもには、この二つの方法すなわち好きなようにさせることと、集団でさせることの組み合わせが有効である。これに対して、子どもが最も学びにくい方法が、一人で、自分のものではないリズム、速さ、持続を強いられることである。ところが、これが今日の学校がとっている方法である。』
ドラッカーが以上を述べてから半世紀たっているが、学校教育は変わっていない。
今の教師は、自由にさせたら子どもは遊ぶ、と言います。そりゃそうだろう、子どもは学ぶ意味を理解していないから。何故なら、教師が教えてないから。何故なら、教師が知らないから。だから、受験で勉強する意義を語るのです。でも、そんな教師は名前を書けば合格できる高校に入学しようとする中学生に何も語れなくなる。大学に進学しない高校生に何も語れなくなる。
不遜ながら申します。
教科に関する本で、その教科が嫌いな人が読んで、自分の30年後、40年後に意味があると思えるような本があったでしょうか?99.99%以上は、その教科の大好きな人だけが通じる論理で書かれています。もしあれば、他教科の人が手に取るはずです。そこに書かれているのが学ぶ意味です。その学ぶ意味を語れば、ドラッカーの書いていることは成り立ちます。
追伸 『学び合い』がドラッカーのドストライクであると思っています。