■ [大事なこと]2分の1成人式
2分の一成人式をやるか、やらないか。意見の分かれるところです。
でも、その議論に決定的に欠けているのは、方法の是非を語るけど、目的の吟味がなされていない。いかにも、いまの教育的です。(http://makomako108.net/2017/01/05/nibunnoichiseijinshiki5/?platform=hootsuite)
2分の1の成人になった子どもたちに、その自覚と促し、残りの2分の1の未来像、そして、成人してからの未来像を持たせるという目的は、「すべき」だと思います。が、方法に関しては、上記を達成するために最も良い方法を子どもに考えさせればいいのに、と思います。
一昨日から書いていますが、主体性のありかたが私と違うのですね。
■ [大事なこと]不登校
不登校の子がいます。
その子がクラスに戻ると、クラスのみんなにどんなメリットがありますか?
教師がこれに応えられない限り、不登校の解決は出来ません。
教師が「その子」のため、我が身のために不登校を解決したいと思っている限りは、子ども達は本気になって行動しません。人は自分の利害で中長期の行動をします。
クラスのみんなが「その子」と学びたいと思わない限り、その子の居場所はクラスにはありません。
ただし、不登校の解決した姿は、みんな仲良し、という状態ではありません。折り合いをつけた状態です。正直、「その子」が嫌いな子がいてもいいのです。折り合いをつけられれば。
クラスの理想像は、働きやすい職場です。全員が仲良しな職場なんで気持ち悪い。
至極、当たり前のことです。
残念ながら、『学び合い』以外に、これに理論的に応えられるものを知りません。
追伸 このあたりの理論は、「資質・能力を最大限に引き出す!『学び合い』の手引き、ルーツ&考え方編」(明治図書)の第2章にあります。
■ [大事なこと]校長
私は色々な研究をしています。
例えば、学校に出入りしている業者にインタビューをして、校長が替わると直ぐに職員室の雰囲気が変わることを明らかにしています。例えば、今までは荷物を持ってきたら「ご苦労様」と声をかけてお茶を出していたのに、「そこに置いておいて」だけになります。
また、本学に派遣される現職者に仕えやすい校長と、仕えにくい校長の違いを聞きました。その結果、見事に『学び合い』のセオリーに一致しています。
そんなことを学術論文にまとめています。
つまり、「校長に置き換えると」と私が書いているのは、思いつきではなく、学術データの裏付けがあります。
伊藤善隆、西川純(2013.4):校長の交代に伴うリーダーシップの変化が職員集団の人間関係に及ぼす影響、教職員・業者へのインタビュー調査を通して、臨床教科教育学会誌、臨床教科教育学会、13(1)、12-25
林友理、西川純(2013.4):学校長と職員集団に関する研究、学校長の集団と個人に対する働きかけに注目して、臨床教科教育学会誌、臨床教育学会、13(1)、53-63
■ [う~ん]進学校
進学校の評価が東大何人、国公立何人ということだと、いくらでも歪に出来る。具体的には、どんどん切り捨ててもいいことになってもOKになってしまう。恐ろしいことだ。
せめて、国公立以外が何%という評価になれば、劇的に変わる。
■ [おさそい]ぐんたまの会
今週末、埼玉県本庄市でぐんたまの会が開かれます。
日時:平成29年3月25日(土)15時~
場所:本庄市児玉公民館 和室
住所:埼玉県本庄市児玉町八幡山368番地
お茶菓子代として、100円をいただいています。
お茶菓子の持参大歓迎です。
■ [大事なこと]コントロールの仕方
集団をコントロールする仕方は『学び合い』とそれ以外ではかなり違います。
暴走族相手に物理の授業をやったときは、徹底的に計画した劇を最高に演じる必要がありました。しかし、これはもの凄く疲れるし、時間がかかります。そのうちに気づいたのは、クラスにはボタンがいくつもあることです。あの子をいじれば面白いことを言ってくれる。あの子に応えさせれば、みんながうなずいてくれる。あの子に任せれば、みんなが静かになる。等々です。最初の1ヶ月ぐらいはザッツエンターテーメントの授業をしながら、そのボタンを探します。あとは比較的楽です。
『学び合い』ではそうしません。理由は教師が常にボタンを正確に見とれるとは限らないからです。そして、ボタンと目された子どもに負担が集中するからです。そして、何よりも「みんな」という言葉をシビアに捉えているからです。例えば、ある子に応えされれば、みんながうなずいたとしても、みんなが納得しているとは限らないことを知ってしまったからです。
では、どうするか。達成すべきことを全体に語り、何故達成すべきかを全体に語ります。結果として、教師がボタンと目した子どもが、教師の予想通りの行動をして、予想通りの結果をもたらす場合もあります。しかし、そうであってもその子の負担感はもの凄く違います。(校長室によばれて、「君」頼むよ、と言われるのと、職員全体に言われたことを自主的にやるのとの違いです)そして、多くの場合、教師の予想は外れていることを知ります。多くの子どもが多様に、流動的に動いてくれます。それ故、安定した結果を得ることが出来ます。
■ [大事なこと]無理
一人一人を理解し、とか、一人一人に寄り添って、という教師がいいらしい。
無理なのに。
二十年以上連れ添った愛する妻一人でも出来ていないのに。赤の他人の子ども三十人に出来るわけない。
でも、三十人の子ども集団だったら理解し、寄り添うことが出来る。
コップ一杯の水分子の挙動を記載し、予測することは出来ない。たった一つの水分子ですら無理だろう。でも、それらの集合である水の挙動を記載し、予測することは出来る。だから、幼稚園児でもコップの水を飲める。
ただ、そのためには集団としての凝縮力を高めなければならない。それが教師の仕事。
という私には当たり前すぎるほど当たりまえのことが理解されず、「一人一人を理解し、とか、一人一人に寄り添って」という絶対に無理なことを良きものであると思われている。
ふ~。難儀だな。
B29に竹槍で攻撃するような精神論はもうやめて欲しい。無理なものは、どんなに時間をかけて、努力しても、無理は無理。無理じゃないことをする方が、子どもにとっても我が身にとっても生産的。
■ [お誘い]追伸
昨日、主体性のことを書きましたが、それは「資質・能力を最大限に引き出す!『学び合い』の手引き、アクティブな授業づくり改革編」(明治図書)78頁に書いてあります。
その前では、一般的にやられている、最初に5分間考えさせてから交流させることの馬鹿馬鹿しさを簡単な理屈で説明しています。
そして、後の節では授業における「責任」は誰がとるかを説明しています。教師がとるのは当然ですね。でも、子どももとるべきなのです。え?と思われるかもしれません。でも、そうなのです。昨日の主体性と一対です。教師も子どもも共に異質なものを背負うべきなのです。
長い追伸です。
■ [お誘い]大阪の会
3月26日に大阪で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://kokucheese.com/event/index/452873/