義務教育段階での遠隔教育は不可能であると思われていますが、違います。出来ます。例えば平成17年7月の「不登校児童生徒が自宅において IT 等を活用した学習活動を行った場合の指導要録上の出欠の取扱い等について」や、平成30年9月の『「遠隔教育の推進に向けた施策方針」の策定について』、「小・中学校等における病気療養児に対する同時双方向授業配信を行った場合の指導要録上の出欠の取扱いについて」を読めば明かです。
そして、昨日、「新型コロナウイルス感染症対策のために小学校、中学校、高等学校等において臨時休業を行う場合の学習保証等について」が出ました。一般の子どもに対しても遠隔教育もありだということを出したことで画期的だと思います。そこでの縛りは多くありません。
第一に、「各教科等において、主たる教材である教科書及びそれと併用できる教材等に基づく家庭学習を課すこと」です。
第二に、教師が定期的に個々の児童生徒との間で電子メール等のICTや電話、郵便等を活用した学習状況の把握を行」うことです。
こんなこと当たり前ですよね。重要なのは、ここに書かれていないことに関しては、学校長の判断でいいのです。
とても素晴らしいと思ったのは「学校設置者や各学校の平常時における一律の各種ICT活用ルールにとらわれることなく、家庭環境やセキュリティに留意しながらも、まずは家庭のパソコンやタブレット、スマートフォン等の活用、学校の端末の持ち帰りなど、ICT環境の積極的な活用に向け、あらゆる工夫をすること」の部分です。ポイントは「一律のルールにとらわれないことを明記していることです。私の知る限り、文部科学省の通達で初めて工業化社会のコードである規格化、同時化から脱したことです。
私の何度も書いていることと全く同じことが書かれている。(ビックリですが、そこまで追い詰められているのでしょう)
ここまでのことを文部科学省が出したならば、バトンは校長個人に渡されたのです。おそらく、法や通達を読みもしない市町村教育委員会は自分たちにバトンが渡されたと誤解しているでしょう。しかし、バトンは校長に渡されたのです。従って、渡されたバトンを規格化、同時化に縛られている市町村教育委員会に委譲したならば、責任放棄の誹りは逃れられません。
もし、ここで何をすべきかが分かっている校長がいたならば、市町村教育委員会に対して毅然とした態度で、この国難において子どもを守るべきなのです。残念ながら、それが出来る学校長は多くはない。でも、出来る校長も2割弱はいます。その校長が前例を作れば7割弱の普通の校長も前に進むことが出来るようになります。
ノブレス・オブリージュという言葉があります。その能力を与えられたものは、その能力を果たす義務があるのです。