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集団の見取り

 最近、教師の職能の最上位は「集団の見取り」であることを述べました。おそらく、今までの授業では、そのレベルに達せられるのは郡市で数人レベルです。研究授業の議論の際、その人が語ると議論の流れががらりと変わるのです。

 大抵の教師は特定の子ども、特定のグループをジッと見ています。しかし、それだとある子どもが極めて重要な言動をしたとき、何故、その子どもがそこに至ったかが分からないのです。あたかも天啓でも得たとしか思えないのです。しかし、天啓なんてそうありません。研究者の私だって38年間の研究生活で、2回ぐらいしか、それに近い感覚はありませんでした。

 我々は全ての子どもにICレコーダーを付けて、それを分析します。そうすると天啓のような言動も、数多くの子どもの関わりによって生成することが分かります。そして、その一つ一つは子どもの普通に気づくことレベルなのです。しかし、それが膨大に積み上がるのです。ところが、多くの教師はパーツしか見ていないので、その流れが見えないのです。

 集団の見取りの出来る教師の場合、集団の中で特徴的な行動が起こったとき、注目すべき行動がそこに生起することを知っています。だから、全体を俯瞰的に見て、注目すべきポイントが現れたとき、さっと近づき、それを見取ります。一つ一つの言動を組み上げて、その授業の流れを組み立てることが出来るのです。だから、その人がそれを語ると、名探偵が犯人が誰かを解き明かすようになるのです。その一つ一つは確かに見えるのですが、多くの人は見逃してしまったり、関連を見失ってしまったりします。だから、それの絵解きをされるとストンとなる。それが議論の流れががらりと変わる姿なのです。

 多くの場合、過去の個人的経験に基づいて構築します。だから、郡市で数人しか到達できません。しかし、『学び合い』では二十年以上の膨大なデータからそれらを明らかにしています。分かってみれば、極単純なものです。

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