昨年(https://www.jun24kawa.com/entry/2023/04/02/214551)と同様に書きます。
ディープなフォロワーの方だったら気づいていると思いますが、私のゼミ生は私に感謝の言葉を発しません。それは追い出しコンパもですが、彼らのSNSでの発信でもありません。個人的に研究室に来ての挨拶もありません。彼らが発するのは西川ゼミの仲間に対する感謝です。
ここまで徹底すると、見事です。
理論的に、それが正しいことを知っています。ところが、私の古い価値観の尻尾が、「これでいいのか」という声を出します。
慌てて発しますが。これでいいのです。こんなことを書くと、心優しい君たちは、感謝の言葉を発するでしょう。でも、不要です。この状態を誇らしく思っている私がいるのです。
日本中のゼミの中で、卒業生から「お世話になりました。ありがとうございました」を一言も言われない指導教員はどれくらいいるだろう(ただし、ゼミの仲間への感謝と涙があって)。とても誇らしい。だって、卒業した後は、私ではなく仲間が自分を守ってくれるのだから。
セオリー通りです。
追伸 一人の方から研究室に来られ感謝されましたが、ゼミ生ではなくゼミ生の親御さんです。親御さんはゼミ生ではありませんから。
追伸2 昨日の夕方、最後まで残った修了生がいました。馬鹿話をしながら、「こいつとは二度と会うことはないのだろうな」と思うと、思わず一瞬、高校教師時代のように抱っこしたくなりました。しかし、すぐに冷静になり、彼らが気づかないうちに姿を消しました。セオリー通りです。ウオームハートよりクールブレインが勝っています。
追伸3 上記が成り立つこと、それが良いと思うことは、『学び合い』実践者でも理解が難しいかもしれません。