おそらく若い人は、年長者に侮られ、失礼な扱いをされるでしょう。
40年間の職業人人生において私を安く見積もって扱う人はいます。ま、若手でしたから。しかし、それを許すことは出来ません。同じ職場ならば、時間をかけて計画的に対策できません。しかし単発的な仕事の場合、そうできません。その場合は、その場で対応します。まあ、流せばいいのですが、それを流せば我が身が腐るように思います。
許せなかった事例は少ないですがあります。40年間でこの程度ならば許されるでしょう。ちなみに、表現上、組織の名前を挙げていますが、組織の問題ではなくその組織の私を担当した人の問題です。
鳥取教育センター 指導主事が私の講演を求めました。しかし、その日が近づいても連絡がありません。センターに確認したら予定がないそうです。その人も鳥取県のどこかの校長になったのでしょう。
佐賀県の中学校 校長が私を馬鹿にしまくっているのです。それは前日の呑み会で分かりました。その後、子どものために心を込めて語りました。しかし、事務から謝金を出されたとき「いいえ、不要です」と言って、中学校を出ました。その後、その中学校を紹介した懇意の指導主事に対して、「私は不浄な金をもらいたくない」と言いました。
教科書センター 文章作成を依頼されました。しかし、その条件を何度も確認しました。ところが見事に無視されました。私は関わらないことを伝え、一部の利用を許諾しました。ただし、私の名前を出さないことを求めました。
東京都教育センター 最初に気になったのは値切り交渉をしはじめたのです。私が無理と拒否すると受け入れました。しかし、コロナでの状況の中で講演の仕方を提案したのですが、「無理」を連発したのです。それほど難しくないのです。だから、ご縁がないですねと断ると、「先生の話を聞きたがっている人は多い」と言うのです。私は「だったら、少しは動け」と思いました。
東京書籍 日程調整をしようとしているのですが何日も無視です。ま、地方大学の助教授は東京書籍の教科書に関わるだけでありがたいと思ったのでしょう。私は多の仕事の支障になるので今後関わらないことを伝えました。そして、教科書に私の名前を記さないように伝えました。その後、偉いさんが上越に来てお詫びをいただきましたので、謝罪をお受けしました。しかし、それ以降、教科書会社には関わらないと決心しました。
これが許せないビック5です。でも、40年間で5件ならは少ない方でしょう。でも、「悪気はないよな~」レベルならば、かなりあります。その共通点は、「お金はありませんが、熱意はあります」と言う人たちです。私は学びました。そのような人と関わらない方法はギャラを要求することです。
この方針転換以降、嫌な思いをしたことは「皆無」です。誠意とお金は対応します。