AIの発達は劇的です。データになりやすいものは全てAIに置き換わるでしょう。わかりやすいのは英語の能力はその価値を失いました。それは分かっていました。でも、今日分かったのは音楽家の価値はなくなります。何故でしょう。それはデータ化しやすいからです。
私は高校時代フルトヴェングラー指揮の英雄にこりました。その最初の部分を聞いただけで、何年のどこでの演奏かが分かるぐらいです。そのころはカラヤンを嫌いました。あまりにもキラキラしていて、ドイツ音楽を表現していないと思ってのです。
今は、YouTubeに流れるクラシックを楽しんでいます。カラヤンも。今は、細かいことではなく、作曲家の鑑賞しているのです。リパティのグリーグの協奏曲、ハスキルのモーツァルトレベルで別格は別ですが、基本的に一定以上のレベルならば作曲家の作人を演じているのです。
ピアニストの聞き比べという動画が配信されていました。ところが、ポリーニやリヒテルレベルの演奏でさえ、作品の素晴らしさが多くを占めました。
これから自動生成音楽・映像が発展する社会において、音楽大学、美術大学の存在意義があるでしょうか?AIをこえる学生さんはいます。でも、10年間に何人いますか?その幻想で、何百人、何千人の学生さんを路頭に迷わしますか?
私は言います。全国の大学教師の中で、送り出した学生の50年の人生を保障できるといえる人はいますか?少なくとも。私は全員は無理と思っています。