■ [お誘い]切り込み隊長
今、気が狂ったように本を書きまくっています。笑う人がいるでしょう。非難するする人もいるでしょう。
でもね、それを求める人が生まれる前に、それも「ちょと」前に用意しなければと思っているのです。
つまり、求める人のレベルと多様性が爆発的に増えているのです。
もちろん、しばらくは、私もやります。
■ [大事なこと]悪者は誰だ
文部科学省の定義によれば、いじめは「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」です。
第三者委員会は法的に罪を認定しうるかを答えていると思います。
教育委員会は文部科学省の定義によって「いじめ」を判断するべきだと思います。そして、法に関しては司法の判断に任せればいい。
何でもかんでも、学校や教育関係者に判断させているから混乱が起こる。
私も何故、教育長があの発言をしたのか不思議でした。その結果として起こる反応は容易に想像できるからです。そして、教育委員長の発言は個人として「ふと話しちゃった」ではなく、用意した文章を読み上げる形式です。つまり、何人ものチェックを通った文章です。だから、何でだろうと不思議でした。でも、この記事(https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/150-yokohama-ijime?utm_term=.agROEGaPQ#.iddX78Gqx)を読むと理由が分かりました。第三者委員会が出した結論がそうならば、そう言わざるをえない。(この記事が正しいとしたらという前提です)。
お叱りを覚悟で申したならば、教育長は貧乏くじを引かされたのだと思います。
非難されるところがあるならば、第三者委員会に文部科学省の定義における「いじめ」を判断してもらうのではなく、法的に罪が生じるだけの材料があるかを聞いた点だと思います。それも民法ではなく、推定無罪を前提とする刑法の判断を仰いだ点だと思います。すくなくとも、そうではないことを第三者委員会にハッキリと言っていなかったのではないか?
教育長を非難したり、教育委員会を非難することもあり得るでしょう。
一定のレベルを超えたら、司法に任せるべきです。学校はどちらが悪いかどうかを判断するのではなく、どちらに対してもどのようにケアするかを考えるべきです。そして、再発防止はどうしたらいいかです。
何で、登校途中の子どものことに関して学校は責任を問われなければならないのか?
もちろん、学校に非があるところは改善し、謝罪すべきでしょう。しかし、親や地域の問題まで学校が背負うべきとは思いません。
と、つらつらと書きましたが、最後に。
かく言う私が教師だったとき、自分のクラスでイジメがありました。
今では原因がよく分かります。