城山三郎の「官僚たちの夏」は好きな小説です。そこでは官僚達の上司・部下の間の熱い戦いがありました。ところが大臣の影がない。おそらく、官僚にとって大臣は「ツール」なのでしょう。そりゃそうです。その道のプロが十年、二十年のけ意見に基づいて方針を決めているのですから、素人の大臣にとやかく言われたくない。だから、自分たちの結論を実現する政治力がある人が好かれる大臣なのでしょう。
しかし、時代の分かれ目には、別なタイプの上司があります。
個々の方法ではなく、戦術的ではなく、戦略的な方向性を示せる上司です。
官僚は「予算を取れれば勝ち」という持続的イノベーションの中にいます。これは中卒より高卒、高卒より大卒、同じ高校、大学だったら偏差値が高い方が良い、という単純モデルと同じ構造です。もちろん、個々の政策に関しては思いがありますが、それを実現するには予算があるので、「予算が取れれば勝ち」という思考になるでしょう。財務省との低レベルの議論に辟易します。今、教師が悩んでいること、子どもが悩んでいることと無関係です。しかし、今、教師が悩んでいること、子どもが悩んでいることを解決するために、どのような予算が必要なのか分からないのです。それを解決するには、大本の構造を変えなければならないからです。
大きな組織は、この単純モデルに囚われます。クリステンセンが述べるように、これから組織は逃れられません。だから、ニッチ市場と笑われる市場から駆逐されるまで気づかない。
前川元文部科学省事務次官は河野元大臣が官僚の世界で評判が悪いということをネットで流していたのが興味深かったです。私の感想は「あなたも官僚なのね」です。官僚に任期の大臣は持続的イノベーションの大臣なのでしょう。もちろん、破壊的イノベーションの人ならば良いとは思いません。結局、実現できなければ意味がありませんから。ですので、前川さんのおっしゃることも分かります。
ようは、ものをなす人は、大臣になる前から多様な省庁のキーパーソンと繋がって、ビジョンを語れる人です。そのような人は大臣になれなくても、事をなします。ということを先進的な官僚レベルでも気づかないのかな?